ひととなり(Vol.2):ふるさと松川町でもやりたいことは実現できる

 中学、高校卒業後、自分の夢に向かって町を離れ頑張っている皆さんも数多くいらっしゃると思います。町内、町外と場所は違えども、夢に向かい励む姿はとても美しく、誇らしい姿だと思います。

 今回のひととなりでは、大学進学のため一度松川町を離れ、卒業・就職を経た後、実家に戻り家業の小売業(八百屋)を継ぎながら、副業で自分のしたいことを実現している中島拓也さん(30歳)のお話をお届けいたします。

 中島さんが松川町に帰ってこられ家業を継がれた思いもお聞きしました。

 将来のことを考える日が来たとき、また今将来のことについて考えている方に読んでいただき、ふるさとのことも思い出していただけたら幸いです。

中島 拓也(なかじま たくや)さん

家業を継ぎながら 好きな動画も

 山梨県の大学に進学のため、一度町を離れ山梨で暮らしました。

 大学卒業後は動画制作に興味があったので、山梨の映像製作会社に就職しました。

 当時、勤めていた会社の社長の方針で、カメラの撮影から、音声、映像の編集、シナリオ作りと映像製作の一通りの作業を経験させていただき、動画製作の一連の作業を一人で出来るようになりました。

 会社では、学校からの依頼で運動会や音楽会の記録映像の製作も行っていました。

実家の八百屋のシャッターが閉まった姿を見たくない ~帰郷を決意~

 映像製作会社に勤めて数年が経ち、20代後半に入った時、ふと将来のことを考えるようになりました。このまま、山梨で好きな動画(映像製作)の仕事を続けるべきなのか。ふるさとに残してきた両親のことも心配。長男なので親を支え家業を継ぐべきか。悩みに悩んだ末に出した答えが、ふるさと松川に帰ることでした。

 松川に帰る決断をしたのは、両親のことを考えてという思いもありましたがが、子どもの頃から慣れ浸しんだ実家の八百屋のシャッターが閉まった姿を見たくなかったという思いからでした。

町内唯一の八百屋さん ~保育園から中学校まで 給食に旬の新鮮な野菜、果物をお届け~

地元の友人とDIYで商品陳列棚を製作

 家業の八百屋は私で5代目と歴史が長く、嬉しいことに古くからの常連のお客さんも多くいらっしゃいます。4年前に家業を継ぎ、お店で仕事をしていると子どもの頃にお店に来ていてくれていたお客さんが私のことを覚えていてくださっていて、声をかけてくださいました。都会ではこういった心が触れ合うあたたかなコミュニケーションがほとんどなかったので、とても嬉しかく感じました。

 実家のお店が地域の方に愛されていることを知るとともに、地元の方と交流しながらする仕事は、やっていてとても楽しく感じます。

 また、保育園から中学校までの給食の野菜や果物を他のお店と交代で納品しています。町内唯一の八百屋であり、細かな依頼や注文にも直ぐに対応することを大事にしています。これからも、新鮮な野菜や果物を子どもたちに届けていきたいと考えています。

 お店も野菜だけでなく、近所の方に喜んでいただけるよう、お刺身の盛り合わせやオードブル、お弁当、お酒も取り扱っています。これからも引き続き地元に愛され続けるお店を目指していきます。

本業の空き時間に副業を ~ふるさとで実現できた動画の仕事~

 今、本業の空き時間に動画の編集など副業としています。稼ぐことはあまり考えていませんが、自分のやりたかったことがふるさと松川で実現できる楽しみがあります。

 最近は町内の知り合いから結婚式の動画の撮影やエンドロールの製作依頼があり、家族の大切な思い出の瞬間を形に残すお手伝いをさせていただいています。

 動画製作や編集で稼ぐことよりも、撮影や編集、またはシナリオ作りからの一連の作業を通して、地域の人に喜んでいだだけること、そして地域とつながってるという実感が一番のやりがいになっています。

松川町を離れ暮らしている学生さん・社会人の皆さんへのメッセージ

 都会では、特に一人暮らしをしていると近くで支えてくれる人がほとんどいませんが、松川町での暮らしは地域の人と関わりがあり、お隣同士、何かあった時に支え合う風習があり安心して暮らすことができます。

 町外に出ている皆さんは、町でできない経験をされていることと思います。もし、将来のことを考える日が訪れた時に、果たして今していることは、都会でなければ出来ないことなのか、考えてみてるものよいと思います。もしかしたら、松川町で出来ること、松川町でしかできないこともあるかもしれません。

 ふるさと松川に戻ってくるということが、皆さんの将来の選択肢の1つとして考えるきっかけになればとを願っています。

更新日:2020年07月02日