(天然記念物)部奈の埋もれ木跡のあるミソベタ層

松川町部奈のミソベタ層内に発見された埋もれ木跡

伊那谷にある地層は少し砂や泥の層もありますがほとんどが礫層で、天竜川やその支流から運ばれたものです。それらの地層の間に火山に由来する地層が一層だけ積もっていてミソベタ層と言われています。

ミソベタ層は諏訪地方の塩嶺火山に由来する火山泥流層です。伊那谷ができ始めてまもなくして積もったもので、200~100万年前の間に流れ下ったと推定されていますが詳しい堆積年代は分かっていません。

下伊那では松川町から飯田市下久堅まで積もっていて、部奈では2~3mの厚さがあります。主に火山灰や火山岩の礫などの混ざった地層で、水を通しにくく濡れると味噌のような色とべた付いた感じに見えるのでミソベタ層と名付けられています。

〔図1〕

地層の写真: 白っぽい壁の部分がミソベタ層、その下部(緩やかな斜面)は伊那層下部、地表に近い上部は伊那層上部。

〔図2〕

 

 

 

 

 

 

松川町における地質の柱状図: 左側は大島方面の柱状図で片桐松川の下流に少しミソベタ層が分布し、右側は部奈の柱状図で厚さ2~3mのミソベタ層が分布する。

 

両方の柱状図ではミソベタ層の高さが大きく異なるように見えるが、実際には離れているためにすごく緩やかな傾斜になる。

諏訪地方からの火山泥流層であることは分かっているのに、伊那市付近から中川村付近まではミソベタ層が見つからず、松川町部奈になって急に露出しはじめて豊丘村・喬木村・飯田市下久堅まで主に天竜川の東側に分布しています。

今まで研究者が長い年月をかけてミソベタ層の分布や岩相などを調査してきました。しかし、埋もれ木跡が見つかったのは部奈だけです。部奈の急斜面は崖が連続して近づけなかったようです。つまり、研究者がだれも部奈のミソベタ層を直接調べなかったために埋もれ木跡があることが分からなかったのです。

しかも、ミソベタ層は飯田市下久堅まで分布していて、他の露頭はすべて調べられているのに埋もれ木跡は見つかっていません。唯一、直接調べられなかった部奈の露頭にだけ埋もれ木跡がたくさん発見されたのです。

ミソベタ層_図3

〔図3〕

ミソベタ層に見られる埋もれ木跡の写真:この露頭には大小4つの樹木の幹の断面が見える。ピッケルの1目盛りは10cm。

部奈の急斜面の崖では、2008年に2本の木の幹のような穴が発見されましたが公式に発表されることはありませんでした。

その後2020年に109本の埋もれ木跡が発見され、合計111本の埋もれ木跡が見つかっています。埋もれ木跡は、火山泥流に巻き込まれた樹木がミソベタ層の中に埋もれたものです。その後現在までに樹木がほとんど風化してなくなり、樹木の幹や枝の形状だけが残ったために埋もれ木跡が空洞になっているもので、化石の一種です。この空洞はミソベタ層の崖に見える樹木の幹や枝の断面であって空洞は奥まで続いていて、太い幹や枝の形が推定できます。穴の周囲のミソベタ層からは樹木の組織が顕微鏡で観察され、穴の一部には樹木片が残されているものもあります。

部奈の急斜面のミソベタ層に見つかった埋もれ木跡が分布している場所は大きく分けて4か所(A・B・C・Dエリア)あります。まず、Aエリアは最初に2本発見された所です。Bエリアは長さ約130m間に84本あり、最もたくさんの埋もれ木跡が見つかった所です。Cエリアは長さ数10m間に6本点在しています。Dエリアは長さ約200m間に19本の埋もれ木跡が点在しています。

ミソベタ層_図4

〔図4〕

分布位置図: M0・M1・M2・M3・M4 はミソベタ層の露頭、A・B・C・Dはミソベタ層に埋もれ木跡が発見された露頭。Bが最も多くの埋もれ木跡が集中しているエリア。ミソベタ層は部奈の地下に広がって分布していると見られる。

これら4か所の内、Bエリアでは最も密集して埋もれ木跡が分布しているので集中して調査が行われました。

その結果、最も太く長い埋もれ木跡が見つかり、幹の直径32cm奥行き576cm以上ありました。また、奥行き400cm以上ある埋もれ木跡は12本見つかりました。さらに、ミソベタ層の長さが約130m間にある埋もれ木跡は上流側(北東側)ほど太い幹の穴が多く、下流側(南西側)ほど細い幹の穴が多いことが分かりました。

この事は、伊那谷の上流から流れてきた火山泥流が途中で樹木の生い茂った林を巻き込み、樹木をなぎ倒して流れ下ったために、太く大きな樹木は遠くまで流されずにミソベタ層内に堆積し、細い幹や枝は遠くまで流されてミソベタ層に積もったと考えられます。

このような現象から、ミソベタ泥流がドロドロしてゆっくり流れ下る様子が想像できますし、その流れ方は太い樹木をもなぎ倒し力強く押し出すような泥流だったと考えられます。

ミソベタ層_図5

〔図5〕

埋もれ木跡で最大断面の直径32cmの空洞の写真: この奥行きは長さ576cm以上ある。レーザー距離計で直線を計測した距離だけであり実際にはそれ以上奥まで延びていると見られる。

長い距離を流れ下ったミソベタ泥流の中で、なぜ部奈のミソベタ層だけに埋もれ木跡が集中していたのでしょうか。

他の地域のミソベタ層の中に埋もれ木が入っていないということは、火山泥流が流れ下るルートの中にたまたま樹木がたくさん生えている地域があったためにその樹木を巻き込んだのでしょう。

伊那谷を流れ下った火山泥流の流れたルートは、現在天竜川が流れている流域ではありません。その証拠に、ミソベタ層が分布している多くの場所が部奈から豊丘村・喬木村・飯田市下久堅で、現在の天竜川の東側にあります。つまり、その当時のミソベタ泥流が流れる中心が天竜川の東寄りにあり、そのルート沿いで樹木がたくさん生えていたのが部奈の周辺だったので樹木をたくさん巻き込んだと考えられます。

 

 

この記事に関するお問い合わせ先

生涯学習課 文教施設係

〒399-3303
長野県下伊那郡松川町元大島3720
電話番号:0265-36-3746

お問い合わせはこちらから

更新日:2024年05月16日

現在のページ