牧ヶ原の水防施設「刎ね」

牧ヶ原(牧河原)とは、旧宮ケ瀬橋のやや上辺りから弁天岩の下手までの部分で、現在は広大な水田地帯となっている前河原より北側にあたります。

この牧ヶ原の畑の一角に遺されていた江戸時代の堤防跡「刎ね」は、長らく地元の方々によってそのままの形で保存されてきましたが、宮ケ瀬橋の架け替えに伴う道路工事によって現状保存が難しくなりました。

先人の遺した貴重な文化遺産として後世に伝えていくため、国土交通省天竜川上流河川事務所・長野県飯田建設事務所をはじめとする関係機関の尽力によって、現在は元の位置から100メートルほど北へ移転・復元されています。

「刎ね」の歴史や移転・復元の様子を紹介します。

移設前の刎ね

移設前の「刎ね」 上部の水神は三六災害以後に奉斎されたもの

移設後の刎ね

移設後の「刎ね」 すべての石に番号を振り、元通り積み直されました

「刎ね」の歴史

悲願の堤防工事

伊那谷の中央を流れ地域のシンボルともいえる天竜川ですが、一方では「暴れ天竜」といわれるほど氾濫が多く度々甚大な被害をもたらしてきました。

天竜川に面し、広大な河原(氾濫原)をもつ新井村・福与村は、古くから河原を利用して水田を耕作してきました。

川が安定しているときには中州にも田畑が作られ、名子村からも入り作が行われていましたが、規模の大きな「川除け」(堤防工事)がなされなかった当時はひとたび出水に見舞われるとすべてが押し流されてしまい、流れては造り、造っては流れの繰り返しでした。

度重なる出水にも負けない堤防を築くことは、河原を持つ村々の古くからの悲願だったのです。

江戸時代の川除普請

江戸時代初期の正保年間(17世紀中ごろ)の絵図にはすでに長さ200間(約360m)の石堤が造られていたことが記されています。

しかし、水害のたびに復旧・補強を余儀なくされ、江戸時代中期のおよそ90年間(享保年間から文化年間の間)に64回もの川除普請(堤防工事)が行われています。

記録によると、90年間のうち特に寛政から享和、文化年間と欠壊した数が多く、欠損箇所は時に11箇所にも及んでいます。

川除普請は領主(高須藩)からの助成事業として行われ、蛇籠(じゃかご)や粗朶(そだ)を入れたり聖牛を組んだりしたほか、砂利堤や石堤を築くなど、様々な方法が用いられました。

*蛇籠(じゃかご)・・・竹などで粗く円筒形に編んだかごに石を詰めたもの。

*粗朶(そだ)・・・川底に丸太を打ち込むなどして枠を造り、間に樹木の枝を束ねて入れたもの。

*聖牛(せいぎゅう)・・・丸太を三角錐状に組み川に設置することで川の流れを緩やかにしたり、増水した際に流れを変えたりする。

 

このように堤防の欠壊が頻繁に起こっていたためか、文化年間のはじめには御領主様(高須松平氏)から国役御普請(幕府の費用で行う普請)を願い出ています。

一時的な対策では修理が不十分と考えたようで、新井村から下川路村までを検分し領内全村の普請を願い出るかつてない大工事となり、当時の記録にも「前代未聞の事なり」と記されています。

 

大石積み「刎ね」の設置

ところが、前代未聞の大工事であった国役普請も、わずか4年で『国役御普請破損書上帖』を提出し、御普請を願い出ています。

その中には国役普請で用いた竹や木などが朽ち腐り、度重なる出水で破損してしまった旨が記されています。せっかく修復した箇所も4年で朽ち腐ってしまうということで、当時の工事の程度が想像されます。

 

このたび移転・復元された大石積みは、天保10年(1839)に弁天岩の下に設置されました。

長さはおよそ30間(約55m)で、流心に向けて巨石を積み上げ、川の流れを中心に戻して堤防を守る働きがあります。

これ以前、上流には「一の刎ね」が設置されていたため、この刎ねは「二の刎ね」と呼ばれました。

「刎ね」によって流れの勢いを変え、堤防の前面には聖牛を組み、蛇籠や粗朶を並べることで、砂利の搔上(かきあげ)堤防や石貼堤防を守りました。

*搔上堤防・・・砂利を搔き上げて造った堤防

*石貼堤防・・・表面に石を貼り付けて造った堤防

 

刎ねの大きな石は幅3尺(約90センチ)、長さ9尺(約2.7m)程もあり、松川町に遺る唯一の江戸時代の石積堤防(刎ね)で、貴重な土木遺産です。

 

参考文献:『松川町史』『大島村誌』

移転・復元作業の様子

移転前の刎ねの様子

移転前の「刎ね」の様子

石ひとつひとつに番号をつける

石積みのひとつひとつに番号をつけます

クレーンで慎重に吊り上げトラックへ

クレーンで慎重に吊り上げトラックへ

移転先では写真と見比べながら復元

移転先では写真と見比べながら元の形へ復元

手作業での調整

細かな調整は手作業で

復元後の様子

元のとおり復元されました

更新日:2022年01月20日

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